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2010年10月20日 (水)

第七則・趙州洗鉢

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     七   趙州、鉢を洗わせる

 趙州に、坊ずが、「わたしは入門早々です。どうぞおさしずを。」とたのむと、趙州、「おカユは食いおったか?」
 坊ず、「おカユはたべました。」
 趙州、「鉢を洗ってこい!」
 その坊主気がついた。

  無門がいう---------趙州はキモをのぞかせ、シン底を見せている。この坊ず、聞き分けなければ、カネもカメも同じ。

 歌に ---------
    ハッキリしたことが、
    ウッカリされるもの。
    あかりは火であるぞ、
    ご飯の火をひけよ。

---------- 思い出すこと----------

 ----私が薦める若者の生き方----

  人間何が辛いって、ウソをつくくらい辛いことはありません。というより心にもないことをいわなくてはならないのは大変辛いことです。アジアの某共産主義国家で盗聴や密告によって、自己反省の弾劾集会に大勢が取り囲む中に引き出されるくらい辛いことはないそうです。’死ぬより辛い’と言っているのを聞いたことがあります。「死ぬこと」より辛いことは無いと思っていましたが、何日も続いて心にも無く現指導者を礼賛させられたり、体制のすばらしさを大声で繰り返させられることが本当に辛いのだと思われます。

 もし社会に出てサラリーマンになれば、嫌でもウソを言わなくてはなりません。嫌な上司にお世辞を言わなくてはいけませんし、周囲にあわせて心にもないことを言わなくてはならない場合も多いのです。
 上州地方のヤクザの親分が田んぼの鳥をみて「あそこに鶴がいる」と言ったら、若い子分が「親分あれはサギですよ」と言ったところ、子分が親分に口応えするとはトンでもない話だと破門になってしまたという話があります。そんな極端なことは無いにしろ、サラリーマン生活というものは大体そういうもので、上司が今日は暑いといったら暑いということになってしまう社会なのです。

 もし、この種のウソを付きたくなかったら、組織に入らないで生きていくことが必要になりますが、乞食僧の桃水のようにホームレスのようになるわけには行きませんから、何かして働いて生活を立てていかなくてはなりません。

 自営業者は業種は何であれ、生きていくためには顧客にお世辞を言わなくてはなりませんが、いつも一過性のもので取引がすんでしまえば忘れてしまう性質のもので、組織の中でのように思考強制が継続して伴うものでありません。
 何より、一番良いのは取引しているのは主に商品なので、自己PRをする必要がないことで、私自身もソフトを見積もって受注して生活していたときは、いつも「どうか、結果を見てくれ」という態度で終始していて、その他に自分の能力について語ることはありませんでした。サラリーマンの場合、いつでも自分の能力を高く見せようとする厳しい努力?が必要のように思われます。
 社会に出たばかりの頃、ある会社員の人に「私は面白い人間ですよ」と繰り返し言われて、自分で言うことかなあと呆れたことがあります。
 この自分についてウソではないにしろ、より高い人間に見せようとすることは決して楽しいことではありませんが、会社に属する以上、つまらない無能な人間と一旦思われたらもう終わりだと言われてるので仕方のないことです。

 しかし、今の若者にとって、会社に属さず、独自に生きていくことは容易ならざることになっています。私の若い頃はまだ、清水の舞台から飛び降りるくらいの決心はいりましたが、兄の経営する小さい会社にもぐりこみ、下っ端からスタートする道がありました。しかし、今は中小企業もそういう、余分な人間を雇う余裕がなくなっています。
 そこで仕方なく、一度サラリーマンになれば、気にいった上司や仲間に恵まれたりしますし、そこに気立ての良い美人もいたりして結婚もしてしまうのでもうお終い?なのです。組織人間として大きなウソの中で一生を生きていくことになってしまいます

 私が必死に考えた、組織に属さずに生きる若者の生き方は次のようなものです。
 まず学校を卒業したらバイトをして金をためて、トイレ風呂つきの1Kのマンションを買うことです。それくらい必死に働けばできるはずです。
 現在、若くてホームレスをやっている人の話を聞いてみると、食べるものは、上野や池袋、新宿、川崎などで炊き出しのサービスがあり、最低の食は保証されているらしいのです。何箇所かの炊き出しの場所をノートに付けておいて、その間をもっぱら歩くのだそうです。そして衣類は、渋谷や新宿のブティックのゴミ箱に売れ残り商品が捨てられているのでそれを拾えばこぎれいなものがいつでも着れます。早朝の繁華街にはタバコも箱ごとよく落ちています。新橋ではよく広告のアンケートに答えて¥1、000くらいの図書券をもらうという仕事もあります。

 その時問題は、寝るところ体を洗うところの確保です。ときどき公園の水道などて体を洗うらしいのですが、ビルのすみでダンボールで毎日寝ていれば薄汚れてきますし、体にもよくありません。ですからマンションの一室さえ確保しておけばその問題はなく、とにもかくにも自由を失わず、ウソをつかないで生きていくことができるはずです。

 ホームレス同様に’炊き出しメグリ’をするというのは半分冗談ですが、しかし一度サラリーマンになってそのウソ社会に取り込まれてしまうことだけは避けることはできます。
 東京では最低食べていくことくらいなんとかなります。
 寝るところを確保すれば、それからどうやって生きるかをバイトやボランティアや趣味をやりながら真剣に考えることができます。
 そうすれば、一人くらい付いて来る女性が登場するはずです。第四一則にも引用しているマンガ家の東陽片岡は六畳一間くらいの部屋で押入れの下で寝ているのですが、その布団に4人の女性が来てくれたことを感謝の言葉ともに述べています。(第二一則・雲門屎[蕨]の解説にアップルのジョブ氏の’自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。’という言葉が引用されています)。

 一生ものごいの中に混じって生活したという乞食僧桃水ほど、自分を洗い(洗鉢して)無所有になって生活することは我々凡人にはとても無理ですが、いま述べてきたように生きれば、社会的な地位というものと無関係な、無所有で自由な生活を出発点にできるとは思いますが、どうでしょうか。
 乞食桃水については拙本に詳述していますのでご参照ください。

  A15g001_2解説

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