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2010年10月18日 (月)

第九則・大通智勝

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    九 大通智勝仏

 興陽の清譲さまに坊ずがきく、「大通智勝仏、坐禅も幾億年、悟りは現れず、ホトケに成りかねるとはどうですか?」
清譲「その質問がいい例じゃ。」
坊ず「座禅をしているのに、どうしてホトケに成れないのですか?」
清譲「かれが成仏せぬまでさ。」

  無門がいう---よく知ることが大事、ただの勘ではこまる。だれでもよく知ればそれで聖人、成人も勘だけでは俗物。

 歌に---
    身をば休めず気を休め、
    うれいなきこそよくあらめ。
    身も薬、気も薬、これ仙人、
    百万石は世のたわけ。

)大通智勝仏は「法華経」に出ており、限りもない時間と故人が向かいあっただけではどうにもならないことのたとえ 

------ 思いだすこと ------

   現在の知恵の代表選手はコンピュータです。さてコンピュータの知恵とは一体何でしょうか。ゼロから考えて見ましょう。

 コンピュータは何も考えません。自分はソフト屋ですが、コンピュータはただプログラムされたように正確に動くだけで、それがどんなに馬鹿げた、無意味な行動であっても、只その通り動作するだけで、暴走しても全く我関せずです(暴走先のプログラムを淡々とやっていて、周囲の人間があわてているだけです)。
 このことはいくら言っても言い足りないくらいで、すぐ人間は、コンピュータはすごい、こんなこともできる、あんなこともできると言って、何かコンピュータ自身が考えているように考え勝ちです。
 プログラマーが人間の知恵らしいものを書き込んで、あたかもコンピュータが考えている風にしているのですが、そうだとしても書き込める人間の知恵というのに明確な限界というものがあって、簡単に言えば単純なことしか書き込めません。
 私の身近な例では最近、病院の受付がコンピュータ化されて、受付から支払いまで、すべて1枚のカードでできるようになっていて、とてもすごい事をやっている印象を受けます。しかし、これもとても単純なことの積み重ねで、例えば病院のある科の医者にかかるか、かからないかは、0か100%です。55%かかるというようなことは一切ありません。
 日常で扱う物ごとの価値が0~100%のどれかだと、そのプログラムは断然、複雑さが増してきます。
 たとえば冷蔵庫の中の整理に関するプログラムを作ることはできません。この種のプログラムは単なるソフトで、何をつくるわけのものではなく、画面上の処理で済むことなのにそれでも不可能です(この発言はコンピューターを万能と思っているマニアな人の思考に挑戦しているつもりです)。
 腐っているかいないかも食物によって全然日数が違いますし、たとえ腐りかけていても料理の種類によっては使用した方が良いことだってあります。それを利用する人のスケジュールや好みによっても変化してくるでしょうし、人間が複数であればもっと複雑になります。
 個人の冷蔵庫に対するプログラムができないのですから、誰がどう使用するかわからない汎用の市販冷蔵庫に対するプログラムは全く不可能で、その種のソフトを冷蔵庫1台1台に付録としてつけることはできません。

 プログラムというものは’if then * else *’と書いていくわけですが、その場合々々を誠実にやっていけば、10回目に1000通り(2の10乗)になりますし、20回目には1,000,000通りになりますので、ある価値観に従って、途中の何通りかを省略しなくてはならないのです。
 その価値観は、人間の何億(?)通りかの経験から生まれたもので、コンピュータの思考とは無関係のものです。

      未完  つづく

    A15g003_4解説

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